私は強度のHSP(繊細さん)です。
物心ついてからずっと、生きづらい毎日を送ってきました。
手術室看護師になったのも、そんな自分を変えたかったからでもありました。
でも、それは間違っていたんです。
私が4年半かけて気づいたことを皆さんにお伝えできればと思います。
気づきとは
私の世紀の大発見とは、以下の三つ。
「必要なのは理想の自分に変わろうとするのでなく、今このままの自分を受け入れること」
「自分を責めることは人を責めること」
「自己改革は、一生かけてやっていくもの」
分かるようで分かりづらいこの言葉、私の半生を例に綴ります。
この気づきに至るまでの生き様
敏感ゆえ自己肯定感の低かった子供時代
物心ついたころから私はとにかく繊細で、大人しく、少しぼーっとした子どもでした。
そして、周りの大人たちが今どんな感情か、幼いながらも何となく感じ取っていました。
私の母は私とは正反対の明るく社交的な性格で、私のためをと思って人が集まるいろんなところに沢山連れて行ってくれました。
しかし、HSPの私にとってはなかなか辛いものがありました。
社交的に明るくハキハキと振る舞えない自分が、そして母の期待に応えられない自分が不甲斐なくて嫌いでした。
でも、母や周りの期待は敏感に感じ取っていたので、一生懸命社交的で積極的な人間になろうと努力しました。

できる看護師になれば自信がついて生きづらさがなくなると思った
中学生になる頃、私は成績はオール5で学級委員や生徒会も務める典型的な優等生でした。
それでありながらも、人前に出ることの苦手意識は変わらず、うまくできない自分は劣等感の塊でした。
そして時は過ぎ、私は看護の道を志すようになりました。
手に職を持ってしっかり自分で稼ぐことができて、安定した職種。
母も納得してくれる道でした。
そして、看護師になり、仕事を覚えてバリバリ働けるようになれば、きっと自分は自信を持って明るい人生を送れるだろうと考えていました。
新人教育でボコボコにされる

私を指導してくださった先輩は厳しい方でした。
手術室の看護は病棟とは全く異なり、看護学校で習ったことは何一つ通用しない場。
しかし、先輩は容赦なく、一度でできるようにならないと大きなため息を何度もついていました。
中堅になった今では、新人が一度教えられただけで全てできる訳がないと分かります。
でもこのとき自己肯定感が低かった私は、全部自分のせいだと思い込んでしまい、毎日自分を責め続けていました。
自由奔放な後輩達にふれて

そんな辛い日々を過ごす中で段々と仕事も覚え、楽になってきたころのことです。
自分にも後輩が何人もできていました。
その子たちも私たちと同じように、一度教えられただけでは当然全てをできるようにはなりません。
私が新人の頃より出来が悪くて、カリキュラムを遅らせて貰っている子もいました。
でも、その子たちは自分を全く責めていなかったんです。
そんなのできないのが当たり前でしょ? という感じでした。
一方その頃3年目になった私は、まだ自分を責めていたんです。
新人さんたちより物理的にできる仕事が格段に増えているはずなのに、です。
ここで初めて私は気づきました。
「仕事を覚えてバリバリ働けるようになれば、自信を持って楽しい人生を送れる」という考えは間違っていたんです。
一つ目の気づき そのままの自分を認める
「努力して仕事ができれば自信を持つことができ、自分を好きになれる」は根本的に間違っていました。
確かに自信はつきますが、これは条件付きの自信。
「できない私」が根底にあるので、常に結果を出し続けなければその自信はすぐに崩れてしまう。
少しの失敗でも自信をなくし、酷く落ち込んでしまうんです。
一方後輩たちは、「できない私」はベースにありません。
「できなくて当たり前」「できない自分でも大丈夫」「学んでできるようになっていけばいい」
このような考え方が、無意識だとしても根底にあるのでしょう。
失敗したり、叱られたりしても、必要以上に落ち込むことがないんです。
私と後輩たちの違いは、「ありのままの自分を認められているか否か」でした。
できない自分も存在していい。
そんな風に思うことが楽に生きる秘訣なのだと気づくことができました。

二つ目の気づき 自分を責めることは人を責めること
一つ目の気づきと同時に、もう一つ気づいたことがありました。
それは、自分を責めることは人を責めることであるということ。
一見、自分を責める分には誰にも迷惑をかけないんだし、いいのでは? と思うかもしれません。
しかし、それは違うんです。
新人時代に自分責めを繰り返した私は、今の新人さんを見てイライラしてしまっていました。
私はあんなに苦労したのに、あの子はできもしないのにヘラヘラ笑っていて腹が立つ。
醜いですよね。でも本心でした。
顔や態度に出さないようにしていたとしても、何となく雰囲気から滲み出ていたことでしょう。
後輩たちにとって、迷惑な話ですよね。
自分を責めたのは、私が勝手にやったことなのに。
自分を責めず精神的に安定した新人時代を送ることができていれば、きっと今の新人さんをみて腹が立つことはなかったはずなのに。
こうして、自分が先輩になってみて初めて、自分を責めることの新たな弊害を知ったのでした。
二つの気づきを得てからの行動

そのような気づきを得た私は、自分の行動変容を試みました。
それはそれは、じたばたしたと思います。
例えば、自分の仕事に完璧を求めるのをやめてみました。
もちろん、人命に関わる職種ですし、必要なことはきちんと行いますが、必要以上に力を入れすぎるのをやめるよう意識しました。
今までは誰も見ていないところでも絶対にサボらず、自分から仕事を探していたのですが、5分くらい空き時間にカルテを見る振りをしてぼーっとしたりすることから始めました。
休む私だってサボる私だってここにいて大丈夫。そう言い聞かせました。
今まで常に120%の真剣さで取り組まなければいけないと思っていたので、抜くところを上手に抜くことができず苦戦しました。
また、できる人と思われることをやめようとしました。
間違えたり断ったりすることを自分に許可し、自分に負荷を与えないように意識しました。
嫌なことをされたら嫌と伝えました。
怒りたいときは我慢せず怒ることにしました。
今まで怒りは全て我慢していたので、今までの分まで爆発してしまって、突然かなり怖い人になっていたかもしれません(苦笑)。
何を思われてもいいや、と捨て身になって、色々試しました。
正直、まだまだしんどいですし、辛いです。
でも、少しずつ少しずつ、生きやすくなっていると思いました。
そんな矢先に休職することになり、精神的な疲労により身体がボロボロになっていることにやっと気づきました。
今まで自分がどれほど無意識に自分を虐めて、無理をしていたかを思い知らされました。
気づきを得てからの自己改革は、まだまだ始まったばかりだと思いました。
まとめと三つ目の気づき:自己改革は一生かけてやっていくもの

上記で述べてきたように、私は4年半かけて、大きな二つの気づきを得ました。
そして、気づきを基に、自己改革を試みました。
自己改革とはいっても、自分を変えるのではなく、自分を変えようとするのをやめるということ。
今のままの自分を認め、責めるのをやめるということ。
気づきを得たからと言って、すぐに全てが好転するわけではありません。
今まで自分にかけてきた数々の呪いを解くため、時間は必要だと思います。
ずっとずっとできる自分になろうとしていたんだもの、そんなにすぐには、できない自分もオッケーなんて思えるようになれなくて当たり前。
そして、それらを清算し終わったときにはきっと、また新たな気づきがあるでしょう。
そうしたらまたそれを基により生きやすいように持っていく。
今すぐ完璧にしようとしなくてもいい。
自己改革は、一生かけてやっていくものだと思います。
一生かけて、自分は自分のままでいいのだと、心の底から分かっていけたらいいなと思っています。
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